ShugoArts

米田知子

「アルべール・カミュとの対話」

2019.4.13 Sat - 5.25 Sat

オープニングパーティー:4⽉13⽇(土) 午後6時より
開廊時間: 火〜土曜 午前11時 - 午後7時(日月祝休廊)

オープニングトーク: 4⽉13⽇(⼟) 午後4時より シュウゴアーツにて(入場無料)
米田知子 × 岡部あおみ (美術評論家、パリ⽇本⽂化会館展示部門アーティスティック・ディレクター)

予約制:event@shugoarts.com まで要予約。定員に達し次第応募締切。
 *満員御礼につき募集を締切りました。文字起こしテキストをウェブサイトにて公開予定です。

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創造は統⼀の要求であり、世界の拒絶である。しかし創造が世界を拒絶するのは世界に何か⽋けるところがあるからであり、時として、あるがままのものの資格で世界を拒絶するのである。ここに置いて反抗は、歴史の外で、そして純粋な状態で当初の複雑さのなかで観察されうる。したがって、芸術は反抗の内実に関して最後の展望をわれわれに与えてくれることになるはずである。
アルベール・カミュ「反抗的⼈間」より

アルベール・カミュ(1913−1960)は、仏領アルジェリアに⽣まれ、20 世紀の激動の時代の狭間に⽣きた。彼は著作を通じて、⼈間が遭遇する不条理の宿命を直視し、真の反抗や正義の意味、⼈間の共存とは何かを問い続けた。⼈間は平等の光と⾃然の恩恵を受け、⾃由を享受すべく存在し、暴⼒と権威を排除した⽣の尊厳を訴え、また苦悩する。
私はカミュが息づき、創造と葛藤の地となった⼆つの故郷‒‒‒‒アルジェリアとフランスを訪ね、⼈々との対話を通じて、先の時代の出来事と今再び世界を包み込む世界の⿊い影を作品で応答し、普遍的な輝く愛を問い、⼈間‒‒‒‒その”存在”のことを考える糧にできればと思った。
制作のきっかけにはカミュの『犠牲者でもなく執⾏⼈でもなく』というエッセイがある。これは戦後まもなく1946 年にカミュが編集⻑を務める仏レジスタンス紙『コンバ』に数⽇間に渡り掲載された。原爆投下に象徴された科学進歩による⼈間の⽣の否定と(地球規模の)未来(へ)の破壊、⽬的達成にはいかなる⼿段をも正当化させるイデオロギーと暴⼒への批判‒‒‒‒「直接的にも間接的にも‒‒‒‒あなたは殺されたいですか、または、殺⼈者になりたいですか」もしいずれかの回答に”否”であるのならば、命を剥奪し沈黙を強いる世界に疑問を持ち”否”と⾔えるべきだとカミュは訴える。カミュが⽣きた時代、また時代を経て繰り返されてきた暴⼒と戦いは、われわれをより豊かな、平和の時代と導いてきたのであろうか。 ⼈類のこの果てしない課題は現在の混沌した世界状況の中、カミュの作品と⽣き⽅を軸に「⼈間の存在と愛」の根本的意味を考えることの重⼤さを感じ、作品を通じて、幅広く皆さんと対話が出来ればと思う。

⽶⽥知⼦

 


 

あらゆる⼈、あらゆる場所にはその⼈やその場所固有の記憶、歴史があります。
ロンドンをベースに仕事を続ける写真家⽶⽥知⼦の制作はリサーチから始まります。彼⼥の⼤事な仕事場の⼀つが⼤英図書館であるように、関⼼対象の⼊念な調査ののち、歴史上の⼈物の記憶、あるいは歴史的な記憶が強く残る場所を訪れ写真にとどめることによってその真実に迫っていく独特の⼿法は、⽩⿊写真においてもカラー写真においても今⽇性を伴った知的な冴えが光る、エレガントな作品群として評価されてきました。

⽶⽥がこれまでに訪れた場所には⽬をみはるものがあります。
ソ連崩壊直前に独⽴を遂げたエストニア、ソ連崩壊後欧州連合EU に帰属したハンガリー(「雪解けのあとに」2004 年)、⽶⽥の郷⾥であり阪神淡路⼤震災で壊滅的な被害を受けた阪神地区(「震災から10 年」1995/2004年)、レジスタンスの秘かな拠点だったイタリアの⼯場地区(「The city rises」2006 年)、⼆つのキリスト教コミュニティに分断された北アイルランド(「One plus one」2007 年)、ゾルゲとその仲間たちの調書に記された⽇本各地の密会場所(「パラレルライフ」2008 年)、独⽴運動の軌跡を辿ったバングラデシュ(「Rivers becomeoceans」 2008 年)、旧⼤⽇本帝国時代の病院がやがて軍隊内警察の本部となったソウルの建物(「Kimusa」2009 年)、台北各所に残存している⽇本占領統治時代の⽇本⾵家屋(「Japanese House」2010 年)、東⽇本⼤震災を軸に⽇本⼈の近代の傷と記憶の再考する要となる福島、広島、東京(「積雲」 2011-12 年)、ロシアと⽇本に分割統治されていた北⽅の島(「サハリン島」2012 年)、朝鮮半島を⼆分する⾮武装地帯(「DMZ」2015年)。

以上のシリーズはいずれも⾃らその地を訪れ撮影をしたものです。あるいは1998 年から続く「シーン」シリーズではアジアをはじめ、ヨーロッパ、中東を訪れ、⽬の前に広がる穏やかな景⾊の中には現れない、その場所に刻まれた歴史的事実とそこに⽣きる⼈々の記憶を作品に結実させてきました。

今回の展覧会で披露されるのは『異邦⼈』『ペスト』など20 世紀を代表する⼩説を著したカミュの軌跡を辿った「アルベール・カミュとの対話」(2017-18 年)です。
1913 年仏領アルジェリアでヨーロッパからの⼊植者の家系に⽣まれたカミュは、⼆つの世界⼤戦、フランスの植⺠地政策を背景とした移⺠差別や政治問題、アルジェリア独⽴戦争など多くの苦難に翻弄されながら混沌とした時代を⽣き、暴⼒に満ちた不条理な世界で我々はどうあるべきかという主題を著作のなかで繰り返し追求しました。⽶⽥はカミュの著作や時代背景、彼の⽣き⽅を再考することの重⼤さを感じ、彼の⾜跡を辿るべくアルジェリアとフランスに向かいます。第⼀次世界⼤戦下の1914 年に本国フランスで戦死したカミュの⽗を起点に、アルジェやティパサ、マルセイユ、パリなどを訪れ、カミュが⾒た世界に⾃らの眼差しを重ね合わせていきました。第⼆次世界⼤戦後に発表されたカミュのエッセイ『Neither Victims nor Executioners』(本邦未訳)には、” 犠牲者でもなく処刑者でもない何者かであること ”という意思表明が記され、それから半世紀以上経つ今⽇の世界でこそ吟味すべき問いかけだという⽶⽥の思いがこの展覧会に込められています。

本シリーズは2018 年春にフランスのパリ⽇本⽂化会館で開催された展⽰を⽪切りに、上海ビエンナーレ(2018-19)での展⽰を経て、東京での初披露となります。当シリーズから本展覧会のために再構成された作品群、並びにフィンランドを代表する現代⾳楽家トミ・ライサネンのサウンドインスタレーションを組み込んだ映像作品を展⽰します。アマナサルトの協⼒を得て実現したプラチナプリント作品『友への⼿紙』(2017-18)も併せて発表いたします。

今展覧会は、パリ⽇本⽂化会館、並びに同地での展⽰のキュレーションと調査協⼒に尽⼒をされた岡部あおみ先⽣のご厚意で実現するものです。この場を借りて深く御礼を申し上げます。オープニングの4⽉13⽇には岡部あおみ先⽣と⽶⽥との対談が実現の運びとなりました。

また2020 年にマドリッドのマフレ財団で予定されている個展に合わせて、⽶⽥にとって初の包括的な写真集が出版される予定です。今後の⽶⽥の活動にますますご注⽬いただき、貴媒体にて本展をご喧伝いただければ幸いです。

2019 年3⽉ シュウゴアーツ

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⽶⽥知⼦, Dialogue with…, 2018, Single Channel video installation (HD, colour, sound) , 6 min.7sec
Music and sound installation by Tomi Räisänen

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米田知子, A statue in a pond and sky seen through palm trees. Botanical Garden of Hamma, Algiers, Algeria, 2017, Set of ten platinum and palladium prints with box

 

本展覧会の作品は国際交流基金/パリ日本文化会館における「『トランスフィア(超域)』#5 『米田知子 アルベール・カミュとの対話』」展のために制作されました。