
| 2011 | 「Japanese House」, シュウゴアーツ(東京) |
|---|---|
| 2009 | 「Rivers become oceans」, シュウゴアーツ(東京) |
| 「Beyond Memory and Uncertainty」, SAGE Paris(パリ) | |
| 2008 | 「終わりは始まり」, 原美術館(東京) |
| 2006 | 「モノクロームの仕事1996−2003」, シュウゴアーツ(東京) |
| 2005 | 「震災から10年」, 芦屋市立美術博物館(兵庫) |
| 「雪解けのあとに」, シュウゴアーツ(東京) | |
| 「After Amnesia: Scenes of Conflict That Have Forgotten Their Past」, 大和ジャパンハウス(ロンドン) | |
| 2003 | 「Scene −Collective Forgetting−」, ゼルダ・チートル・ギャラリー(ロンドン) |
| 「記憶と不確実さの彼方」, 資生堂ギャラリー(東京) | |
| 2000 | 「Tomoko Yoneda」, ゼルダ・チートル・ギャラリー(ロンドン) |
| 「Between Visible and Invisible」, ツァイト・フォト・サロン(東京) | |
| 1999 | 「Luminary」, ルーム(ジェンティリー、フランス) |
| 1997 | 「Topographical Analogy」, ツァイト・フォト・サロン(東京) |
| 2011 | 「ボディ・アンド・ソウル 原美術館コレクション展」, 原美術館(群馬) |
|---|---|
| 「Art in an Office −印象派・近代日本画から現代絵画まで−」, 豊田市美術館(愛知) | |
| 「Bye Bye Kitty!!! Between Heaven and Hell in Contemporary Japanese Art」, The Japan Society(ニューヨーク) | |
| 「What is “On the Agenda of the Arts”?」, トーキョーワンダーサイト渋谷(東京) | |
| 2010 | 「六本木クロッシング2010展:芸術は可能か? −明日に挑む日本のアート−」, 森美術館(東京) |
| 「Plastic Memories」, 東京都現代美術館(東京) | |
| 「これも自分と認めざるをえない展」, 21_21 DESIGN SIGHT(東京) | |
| 「Kuandu Biennale “Plus:10+10-Memories and Beyond”」, Kuandu Museum of Fine Arts(台北) | |
| 「The 20th Festival of Le Printemps de Septembre」, Musee Henri-Martin(Cahors) | |
| 「New Photography: Pavilion Commissions 2009」, Djanogly Art Gallery(ノッティンガム) | |
| 2009 | 「米田知子・須田悦弘『場が物語るもの』展(アジアン・アート・ビエンナーレ・バングラディシュ巡回展)」, 100Tonson Gallery、(バンコク) |
| 「platform 2009」, KIMUSA(ソウル) | |
| 「女性アーティストと、その時代 資生堂ギャラリー90周年記念展」, 資生堂ギャラリー(東京) | |
| 「Rememory」, ギャラリ—・ルーシー・マッキントッシュ(ローザンヌ) | |
| 2008 | 「茂木健一郎・はな・角田光代・荒木経惟 4人が創る『わたしの美術館』展」, 横浜美術館(横浜) |
| 「第13回アジアン・アート・ビエンナーレ・バングラディシュ2008、米田知子・須田悦弘『場が物語るもの』展」, オスマ二記念ホール、バングラディシュ・シルパカラ・アカデミー バングラディシュ国立博物館(バングラディシュ) | |
| 2007 | 「第10回イスタンブールビエンナーレ」, (イスタンブール) |
| 「第52回ヴェニスビエンナーレ」, (ヴェニス) | |
| 「FASCINATION −イメージの冒険・現代写真の5人−」, 東京日本橋高島屋 6階美術画廊X(東京) | |
| 「Paradise is for the blessed」, フォー・コーナーズ(ロンドン) | |
| 「美麗新世界−当代日本視覚文化」, 北京東京藝術工程(北京)/ 広東美術館(広東) | |
| 「Changing Faces/ Work IPRN」, 市立ラーケンハル美術館(ライデン) Museu Valencia de la Il.lustracio i de la Modernitat(MuVIM)(バレンシア) |
|
| 「Dom Fotografie」, Liptovsky Mikulas(リプトフスキーミクラーシュ) | |
| 「Japan Caught by Camera Works from The Photographic Art in Japan」, 上海美術館(上海) | |
| 2006 | 「束の間美術館 ソイサバーイ」, シルパコム大学(バンコク) |
| 「ベルリン−東京 / 東京−ベルリン」, ノイエナショナルギャラリー(ベルリン)/ 森美術館(東京) | |
| 「Naturaleza」, フォト・エスパーニャ2006(マドリッド)/ 巡回「The Rising Sun」(テネリフェ) | |
| 「85 / 05 :幻のつくば写真美術館からの20年」, 仙台メディアテーク(仙台) | |
| 「YOSHITOMO NARA + graf A to Z」, 吉井酒造煉瓦倉庫(弘前) | |
| 2005 | 「アートサーカス−日常からの跳躍」, 横浜トリエンナーレ(横浜) |
| 「西から東から」, シュウゴアーツ(東京) | |
| 2004 | 「Out of the ordinary/ extraordinary: Japanese contemporary photography」, ケルン日本文化会館(ケルン、ヨーロッパ巡回) |
| 「ノンセクト・ラディカル 現代の写真㈽」, 横浜美術館(横浜) | |
| 「Spread in Prato 2004」, ドライフォト・アート・コンテンポラリー(プラト) | |
| 2003 | 「History of Japanese Photography 1854−2000」, ヒューストン美術館(ヒューストン) |
| 「The Year of New Work: Contemporary Asian Photography Spatial Narratives: Hong Hao, Atta Kim, Xing DanWen, Tomoko Yoneda」, The Japan Society(ニューヨーク) | |
| 「Mask of Japan: Japanese Contemporary Photography」, アウラギャラリー(上海) | |
| 「My room somehow somewhere ボクノ部屋ナゼカドコカニ」, gm(大阪) | |
| 2002 | 「Fragilities – Printemps de Septembre」, トゥールーズ、レクトゥル写真センター(フランス) |
| 2001 | 「Between Visible and Invisible」, シカゴ現代写真美術館(シカゴ) |
| 「Artists’ debut」, ライス・ギャラリーG2(東京) | |
| 「Summer Show – three contemporary photographers」, ゼルダ・チートル・ギャラリー(ロンドン) | |
| 「手探りのキッス -日本の現代写真」, 東京都写真美術館(東京)/ 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(香川) | |
| 「Painterly Photography」, ブレインズ・ファイン・アート(ロンドン) | |
| 「Surface」, ネーデルランド・フォト・インスティチュート(ロッテルダム) | |
| 2000 | 「Counter − photography -Japan’s artists today」, モスクワ美術館(ロシア、北欧、ヨーロッパへ巡回) |
| 「当代日本撮影家展」, 上海サンヤ写真ギャラリー(上海) | |
| 1999 | 「VOCA展 ’99」, 上野の森美術館(東京) |
| 「Zeitgenoessische Fotokunst Aus Japan」, ノイエ・ベルリナー・クンストフェライン(NBK) / ベルリン、ドイツ国内四会場巡回 | |
| 1998 | 「21st Anniversary ZEIT −FOTO− 幻のNICAF 1988展に代えて」, アートスペース・シモダ(東京) |
| 1996 | 「Future Vision」, フォトグラファーズ・ギャラリー(ロンドン) |
| 1993 | 「The Daily Planet」, トランスミッション・ギャラリー(グラスゴー) |
| 1992 | 「The Big Apple」, ゼルダ・チートル・ギャラリー(ロンドン) |
| 1991 | 「Treading a Fine Line」, ゼルダ・チートル・ギャラリー(ロンドン) |
| 2006 | 「IPRN EU カルチャー2000」, チェンジング・フェイシズ・コミッション チニゼッロ・バルサモ現代写真美術館(ミラノ) |
|---|---|
| 1996 | 「フューチャー・ビジョン」, フォトグラファーズ・ギャラリー(ロンドン) 第2位 |
| 1995 | 「オブザーバー・デヴィッド・ホッジ・メモリアル・トラスト・アワード」 第3位 |
| ヒューストン美術館 (ヒューストン) |
| 国際交流基金 (東京) |
| 芦屋市谷崎潤一郎記念館 (芦屋) |
| 東京都写真美術館 (東京) |
| メゾン・ヨーロピエンヌ・ドゥ・ラ・フォトグラフィー (パリ) |
| 資生堂アートハウス (掛川) |
| ジョイ・オブ・ギビング・サムシング (JGS) (ニューヨーク) |
| ビクトリア&アルバート美術館 (ロンドン) |
| ブリティッシュ・カウンシル (ロンドン) |
| プリンストン大学 (ニュージャージー) |
| 横浜美術館 (横浜) |
| 国立国際美術館 (大阪) |
| UBSアートコレクション (ロンドン) |
| ニッセイ基礎研究所 (東京) |
| トヨタ自動車株式会社 (豊田) |
| 森美術館 (東京) |
| シカゴ大学 (シカゴ) |
| 原美術館 (東京) |
2012年3月10日(土)– 4月29日(日)
トーキョーワンダーサイト渋谷
出品作家:米田知子
2011年10月14日(金)– 11月30日(水)
トーキョーワンダーサイト渋谷
出品作家: 米田知子
2011年10月29日(土)− 12月3日(土)
2011年8月23日(火)− 9月24日(土)
2009年9月5日(土)− 10月3日(土)
2008年9月12日(金)– 11月30日(日)
原美術館
2007年6月10日(日)– 11月21日(水)
ヴェニス
出品作家: 藤本由紀夫、米田知子
2006年5月9日(火)− 5月27日(土)
米田知子 “Japanese House” 展覧会評
松井みどり
米田知子は、ある場所に特有の雰囲気やその場に残された痕跡を通じて、その場所の歴史やそこにまつわる個人の記憶を呼び起こす。そのために、その写真表現の手法には、場所の特殊性に応じて異なる工夫が加えられる。
たとえば、ベルリンの壁崩壊以降のハンガリーやエストニアの風景を撮影した写真連作『雪解けのあとで』で、米田は、殺伐とした林や野原や、そこに居合わせる人々を、視線の集中点(フォーカル・ポイント)を省き、前景と遠景の差を曖昧にしたニュートラルな空間として撮った。それによって彼女は、観客に、広い場所にぽつんといる感覚や、何かに囲まれている感覚を体感させ、歴史的なたががはずされた場所に存在することの浮遊感を想起させた。また、ハンガリーの、かつてスターリン・シティと呼ばれた町を撮ったシリーズや、北アイルランドに旅して撮影したシリーズでは、同形反復を強調することで、プールの青い水や色タイルがつくり出す模様の鮮やかな装飾性や、赤い板の連続による事物の存在感や重量感を伝え、思想的な縛りとは関係なく確かに存在する物の世界に生きることの喜びを感じる人々の心のはずみを観客に共感させた。
2011年10月29日から12月3日までShugoArtsで開催された個展『Japanese House』では、これまでよりも強く人為性を強調する撮影や現像の方法によって、現代の台北に残る日本の統治時代の日本式家屋に漂う、特異な歴史の痕跡や独特の雰囲気が、意識的に対峙すべきものとして観客に示されていた。シリーズ中のいくつかの写真で、米田は、前景と背景の間の画像の鮮明さに極端な差異をつくることで、絵画表現と写真的表現、「今ここ」の建物と「かつてあったもの」の幻を対比させ、それらが共存する複合的な空間を表出させる。
例えば太平洋戦争終了時の首相、鈴木貫太郎令嬢の家の写真では、柱や玄関の戸の枠の輪郭が強調され、ちょうど絵画の枠組みのような構造を作っていた。それに対して、中景に映し出される部屋や庭の風景は、曇りガラスや薄絹のカーテンに媒介されて、幻のように霞んだはかない輪郭の影のように見えた。両者の対比は、現在の場所の中にある過去の気配を濃厚にさせ、それによって、二つの異なる時空に同時に存在する感覚や、消えていく時間を惜しむ心の動きを観客に追体験させる。家具もまばらな無人の空間に差し込む薄日や、玄関の扉の硝子に書かれた漢詩の賛も、過ぎ去り、戻ることのない歴史上のある時代を引き寄せ、「もののあわれ」にも似た感情を呼び起こす。
この、現在の中に潜む過去への眼差しは、事物の淡々とした描写の内に隠された歴史的過去へも、観客の思いを向けさせる。写真によって参照される過去とは、日本の台湾統治によって日本家屋の建築が台湾の上流階級の間に普及した時代を指している。その典型が、1920-40年代の植民地時代や蒋介石時代だ。それは、確実に、侵略と文化的侵犯の歴史でありながら、文化的交通ももたらした。例えば、家々の隅々に残された日本化されたアールデコ建築様式の痕跡が、植民地化とはただ抑圧的なものなのではなく、異文化の伝播や混交に貢献するものであることを考えさせる。
こうした、一つの空間でありながら、別の時空を宿している—別の時間にとりつかれている—場所の多層性が、今回の写真に撮られた家屋に共通する特徴だ。米田知子の写真は、その場所の二面性を、写真空間の二面性によって体現している。特に、前景と背景を繋ぐ役割を果たすカーテンやガラス戸の、ドライポイントで描かれた油絵やグアッシュの仕上げを思わせる乾いたざらざらしたタッチが、風化の痕跡をなぞると同時に、「絵画化」による時の物象化(現象のイメージへの固定)を強く意識させた。
ひんやりとしたグレーのトーンは、米田の写真の特徴だが、今回のシリーズでは、そのトーンが、時の経過と歴史の経緯のなかで失われて行く文化と生活上の同時代意識(自分がある時代の文化と生活の中に確実に根づいているという意識)への哀悼の感情を高める。
失われて行くものの記録という意味でも、記憶の喚起という意味でも、題材にふさわしい表現が、今回の米田の写真連作でも、高い純度で実行されていた。
(米田知子 “Japanese House”展は2011年10月29日(土)-12月3日(土)までシュウゴアーツにて開催されました。)
米田知子 “Japanese House” 展覧会評
松井みどり
米田知子は、ある場所に特有の雰囲気やその場に残された痕跡を通じて、その場所の歴史やそこにまつわる個人の記憶を呼び起こす。そのために、その写真表現の手法には、場所の特殊性に応じて異なる工夫が加えられる。
たとえば、ベルリンの壁崩壊以降のハンガリーやエストニアの風景を撮影した写真連作『雪解けのあとで』で、米田は、殺伐とした林や野原や、そこに居合わせる人々を、視線の集中点(フォーカル・ポイント)を省き、前景と遠景の差を曖昧にしたニュートラルな空間として撮った。それによって彼女は、観客に、広い場所にぽつんといる感覚や、何かに囲まれている感覚を体感させ、歴史的なたががはずされた場所に存在することの浮遊感を想起させた。また、ハンガリーの、かつてスターリン・シティと呼ばれた町を撮ったシリーズや、北アイルランドに旅して撮影したシリーズでは、同形反復を強調することで、プールの青い水や色タイルがつくり出す模様の鮮やかな装飾性や、赤い板の連続による事物の存在感や重量感を伝え、思想的な縛りとは関係なく確かに存在する物の世界に生きることの喜びを感じる人々の心のはずみを観客に共感させた。
2011年10月29日から12月3日までShugoArtsで開催された個展『Japanese House』では、これまでよりも強く人為性を強調する撮影や現像の方法によって、現代の台北に残る日本の統治時代の日本式家屋に漂う、特異な歴史の痕跡や独特の雰囲気が、意識的に対峙すべきものとして観客に示されていた。シリーズ中のいくつかの写真で、米田は、前景と背景の間の画像の鮮明さに極端な差異をつくることで、絵画表現と写真的表現、「今ここ」の建物と「かつてあったもの」の幻を対比させ、それらが共存する複合的な空間を表出させる。
例えば太平洋戦争終了時の首相、鈴木貫太郎令嬢の家の写真では、柱や玄関の戸の枠の輪郭が強調され、ちょうど絵画の枠組みのような構造を作っていた。それに対して、中景に映し出される部屋や庭の風景は、曇りガラスや薄絹のカーテンに媒介されて、幻のように霞んだはかない輪郭の影のように見えた。両者の対比は、現在の場所の中にある過去の気配を濃厚にさせ、それによって、二つの異なる時空に同時に存在する感覚や、消えていく時間を惜しむ心の動きを観客に追体験させる。家具もまばらな無人の空間に差し込む薄日や、玄関の扉の硝子に書かれた漢詩の賛も、過ぎ去り、戻ることのない歴史上のある時代を引き寄せ、「もののあわれ」にも似た感情を呼び起こす。
この、現在の中に潜む過去への眼差しは、事物の淡々とした描写の内に隠された歴史的過去へも、観客の思いを向けさせる。写真によって参照される過去とは、日本の台湾統治によって日本家屋の建築が台湾の上流階級の間に普及した時代を指している。その典型が、1920-40年代の植民地時代や蒋介石時代だ。それは、確実に、侵略と文化的侵犯の歴史でありながら、文化的交通ももたらした。例えば、家々の隅々に残された日本化されたアールデコ建築様式の痕跡が、植民地化とはただ抑圧的なものなのではなく、異文化の伝播や混交に貢献するものであることを考えさせる。
こうした、一つの空間でありながら、別の時空を宿している—別の時間にとりつかれている—場所の多層性が、今回の写真に撮られた家屋に共通する特徴だ。米田知子の写真は、その場所の二面性を、写真空間の二面性によって体現している。特に、前景と背景を繋ぐ役割を果たすカーテンやガラス戸の、ドライポイントで描かれた油絵やグアッシュの仕上げを思わせる乾いたざらざらしたタッチが、風化の痕跡をなぞると同時に、「絵画化」による時の物象化(現象のイメージへの固定)を強く意識させた。
ひんやりとしたグレーのトーンは、米田の写真の特徴だが、今回のシリーズでは、そのトーンが、時の経過と歴史の経緯のなかで失われて行く文化と生活上の同時代意識(自分がある時代の文化と生活の中に確実に根づいているという意識)への哀悼の感情を高める。
失われて行くものの記録という意味でも、記憶の喚起という意味でも、題材にふさわしい表現が、今回の米田の写真連作でも、高い純度で実行されていた。
(米田知子 “Japanese House”展は2011年10月29日(土)-12月3日(土)までシュウゴアーツにて開催されました。)